「あ、そっか」ということ
今朝思った自己否定に補足しまして。
小学生時代は、内気で無口な損な性格ながらもごく普通の仲間外れくらいでした。いじめる子もいましたが、ヨクデキ姫や王子達が「そんなことを言うのは良くないよ」と口にしてくれると周りの子達はいじめをやめたりしました。
中学が暗黒時代でした、笑
いじめの中心になる性格の歪んだ子が怒るようなナニカを私はしたのでしょう。
突然リンチ環境になりました。クラスの中のいじめグループのメンバー達は私のことを「汚物」と呼んでいじめました。でも、私は一度も感情的になったことがありません。なにせもっと幼い頃から心を押し殺して生きていましたから。体育、掃除、給食、遠足、色々な場面で仲間外れにされました。
そんなわけないのに「くさい」と言われ、そんなこと言ってないのになーということを言ったと騒がれ、徹底的に孤立させられていました。でも泣いたこともありません。
殴る、蹴る、ということはされていません。
汚いから触りたくない、とじゃがいもみたいな男子からいじめられました。
今でも思い出せるのはこのくらいですかね?
思い出してみてもくだらなくて心底どうでもいいですね、笑
今回のテーマはですね。
結構長い間、私は自己否定に囚われていたわけです。
可愛いとかきれいだと言われる度に思ったのは、「私は汚い」でした。
性格を褒めてもらっても、無理に褒めてくれていると思いました。
その根底にあったのは「周りはみんな、私を否定する」という思いの蔓延でした。
この「周りはみんな 私を否定する」なんですが。
これはね、実に狭い狭い世界なんですよね。
いやもう米粒ひとつ分くらいの狭い世界なんです。
その狭い世界から離れてしまえば、いちいち一丸になって否定するのに夢中な人なんていないんですよ。
仮にいたら、そんなのただのきちがいです。
狭い世界に自分を閉じ込めて、くだらない考えに染まっているなんて無駄ですね。
普段も言葉にすることですが、物の断捨離以上に心の中の断捨離が大事なことですから。
自己否定は、狭い世界の中で作り出したルールです。
簡単に変えちゃっていいようなローカルルールです。
正当性の低いルールなんで、縛られることはありませんよ😊
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