今日は父の髪を切ってあげました
おおまかに電気バリカンで短くした後、シザーセットを取り出してきて整えました。
父が暴れた頃は、早く寝たきりになっておとなしくなってほしいと切実に思っていました。
馬鹿だったなぁ、と今は思います。
確かに暴力に悩まされた時が一番大変でしたが、寝たきりになってしまったら、父のことを人として扱うようにして生活できなくなっていたでしょう。どんなに変わってしまっても、今の父は人として、この家の中で家族の一人として一緒に暮らしている。それがお互いにとってどんなに幸せなことだったのか、今はわかります。
今朝、家に帰ると、父は「俺はもう、長くない」とつぶやいて泣きました。
この一ヶ月で、全身が骨ばって、骨と皮だけのように痩せてしまいました。
「おまえに苦労かけてばかり」と泣く父にいつも「お父さんはまだ自分で歩いてるじゃない。紙おむつもしていないんだよ。えらいよ! 私を困らせないように頑張ってる、お父さんありがとう」と笑顔でありがとうね、と言います。
食もとても細くなりました。
栄養が足りず、筋肉も衰えてなくなっていて、体温が低くなりました。
父は私に手を握ってもらうのを喜びます。
「ああ、おまえと手をつないでいたら体が楽になった」と言ったりします。
ぬくもりに、安心を、感じているのだと思います。
壊されていく脳の中には不安がいっぱい。
記憶も壊されていくこと、それがどれほどの恐怖か。
「最後の七日間」
寄り添ってあげたい七日間。
一生が、人の一生が終わる前の時間。
介護、大変と心配してもらうこともあります、優しさから。善意から。
確かに大変なことはいくつもあります。
だから思います。
ああ、私が大人になってから父さんを看取れてよかったなぁ、って。
それに事故のように一瞬で奪われるのでなくてよかったなぁ、って。
私にとって父の介護は、大変よりも、こんなにも時間に恵まれたことへの感謝です。
子供の頃や、若かった頃には。
死にたいと思ったこともありました。
生きていたくない、と、食べることも眠ることも拒否していたこともありました。
でも、生きていてよかった(*´ω`*)
命の大切さを、色々な人達から教えられています。
父も私に教えてくれています。ありがとう、お父さん。
このブログへのコメントは muragonにログインするか、
SNSアカウントを使用してください。