七輪お姉さん

日々のつぶやき

認知症であれガンであれ

ターミナルステージ。
親の看取り。


何も特別なことではない。
孤独でもない。
誰にも訪れる親の看取りというターミナルステージ。


幸い、アルツハイマーの他には持病などのない父の最後は、老衰という自然な命の最後となるのでしょう。


老衰についての知識を学ぶことで穏やかな気持ちになれました。


父の筋肉の低下、幻覚、せん妄、むせて食べることができなり一気に体重が落ちてしまったこと、手足の体温の低下、呼吸の乱れ、青黒くなる皮膚。
父の命の尽きる時を知らせている。


今、私にできることは感謝を優しく伝えること。
父は昨夜も私についていてほしくて泣きました。
一人で死にたくない、と泣きました。
私は父に笑顔で「お父さんはきっと仏さまになってもしつこくあたしにとりついて離れないかもしれないよ」と言いました、笑いながら。父はそれをまじめに「その通りだ」と言っていました。


いつも夜中まで好きに遊んで家に帰らない人でした。気ままな生活を好む人でした。料理を作っても夜中にしか帰らず、温かいうちに食べてもらえないことに頭にきた母は料理をすることがなくなりました。私がずっと料理や家事をしてきました、子供の頃から。


そういう父がこんな風に変わってしまった。不思議ですよね。
自分の好きなようにしているのが好きで、一度も私の誕生日を祝ってくれたこともない、クリスマスなどもいつものように外で遊んでいた父が、娘が側にいない時に死にたくないと泣きます。


父が穏やかな気持ちで臨終に向かっていけるように、見守ってあげます。


先月、病院で言われた「年を取って機能が低下したことで今までのように食べられなくなっているのです、病気ではありませんよ」という言葉が老衰が既に始まっているということなのをあのときには気づきませんでした。


認知症も、老衰も、その人それぞれの早さで臨終に向かう。
父はもうあと数ヶ月などは、そんなに多くの時間は残されていないのでしょう。
介護支援のサイトにあった言葉「介護はどんなに大変でも、長くはない。決して長くはない時間なのです」が心に響きます。