家にいる時には
生きている父の姿を見ることができますから私は疲れ知らずです。
疲れるということを感じないです。
姿を見かけたら話しかけるようにしています。父はとてもさみしがりですから。
今日はブリが安かったので昼はブリの照り焼きを作ってあげてから眠りました。
起きた後は煮物を作りました、おでんのようなものを。
はんぺんや豆腐、練り物などはまだ父にとって食べやすいようです。
トッポギは作りません、「餅を喉に詰まらせないように」と書かれてあるものすべて、父には作らなくなりました。
愛情とかなんとかを抜きにして。
私が若いから疲れることを知らずにいられるのだと思います。
尽きることのない溢れる愛情を持っていても、夫婦での介護は疲れ知らずになれるわけはないでしょう。
いつまで旅行なんて馬鹿げたことに税金を無駄遣いしているのでしょうか?
70歳以上の人達のタクシー利用を一割負担にしてあげてください。
ミニバンのようなもので通院や買い物に連れていってあげるサービスをしてください。
この国が高齢者に慈しみのない政治を示しているから、若い世代達が高齢者を蔑むような発言を恥ずかしいとも感じずにするのではないのですか?
誰にでも老いがやってくるんです。
お年寄りを笑っている若い世代も老いるんです。
若い時に当たり前のようにできたこと、簡単にできたこと、それらを当たり前のように、簡単に、できなくなる自分を目にする時がきます。
つまりです。
お年寄りを馬鹿にする人は、老いた自分を馬鹿にしているのと同じなのですよ。
将来の自分を、馬鹿にしているのですよ。
「自分を大切にすることのできない者には他人を大切にすることなどできない」
この言葉には沢山の意味と沢山の視点があります、深い言葉だと思っています。
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