七輪お姉さん

日々のつぶやき

認知症の父からの学び

老いた時の自分の為に健康を意識するようになったこと。


接し方。
例えですが、認知症の人が既に開封されているジュースを手に「これをあげる、私にはもうひとつあるから飲んで」と好意や善意から持ってきたとします。そのジュースには小さなゴミが浮いているとします。
 ✗ 「ゴミが入ってるじゃない! なんでちゃんと見ないの!」というような注意をする
 ○ 「ありがとう、後でいただきます^ ^」と笑顔で受け取って見られないところで黙って捨てる。


認知の病気、記憶できなくなる病気、なのです。
まっとうなことを叩きつけても無駄です。相手を傷つけるだけなんです。


子供のように、世話が必要になりますが、子供との違いがあります。
注意は役立たないものになることです。
言ったからそれを守る子供とは違います。
言われた時には理解できているんです、でもそれをすぐに忘れてしまいます。
認知症の人にとっては「言われていないのに・・」なんです。
こちら側が何度同じことを言おうとそれは認知症の人にとっては「そんなの知らない・・」なんです、嘘で言ってるのでなくて本気でそう思っているんです。


だから「言ったでしょ!」とか「あんなに言ったのに!」はそれが何も間違っていなくても正しくないんです。


いきなり怖い顔、きつい顔で怒り出して「あんなに言ったのに!」と言われたとしたら、どんな気持ちになりますか。混乱するでしょう。理解できないでしょう。なんせ認知症の人達にとっては「急に怒られた・・」ということになります。怯えたり、不安になります、その防衛から興奮したり暴れることもあるでしょう。


記憶がなくなるということはそういうことなのです。
それまでの経緯の記憶がなくなっているんです。


だめだよ、と言っても役に立たないので、私は父にだめという言葉を使わなくなりました。
靴下を何故か脱いだままでいれば「靴下履こうね、でないと寒くて風邪を引いちゃう。風邪を引いたら、運が悪いと死んじゃうからあったかくしていようね」と言います。


何を言われてもそれを忘れてしまうことが多いですが、話しかけてくれることが嬉しいんですよね。話し相手になってあげればいいんです。父は軽い躁状態のようになる時があります、ひたすら雄弁に話し続けようとする時があります、そういう時には話の腰を折らないで聞き役になります。


母はイライラして怒鳴ったりしますが、認知症の父がそんな風に語ろうとしていること、私にとってはとても可愛くて慈しみたい気持ちになります。父のそんな元気のある姿を見ていられることが幸せだから。