七輪お姉さん

日々のつぶやき

生きるも死ぬも

今週は父の神経が、感情が、大きく揺れています。
さっきも荒れました。
以前のように暴力にまでは、私の対応も慣れたこともあってかなりませんでしたが。


まずはお金のことで始まり、次に車のことになり。


父は記憶がなくなる病気なので何もかも「そんなことあるわけない。俺が車にぶつかったことがあるなら覚えているはずだ」と言いはりました。
けれど三件の事故を半年内に起こしたのは事実です。
その当時からずっと車をもうやめてくれ、と頼み続けました。
一件は私の目の前でした。
見晴らしのいい場所で遠くから走ってくる車に突っ込みました。
他に一台も車のいない時でした。


父はまたもう死ぬ、おもしろくねぇ、やってられねぇ、と言いました。
川に飛び込むだの首を釣るだの。
私は穏やかに言いました。
「こんな日中死のうとしてもしくじるよ。
 うまく死にたいなら夜中人目のない時にやらないと。
 それにそんなにしなくても食べないだけで死ねるんだよ。」
すると父は「俺はおまえを泣かせたくないから死ぬもんか」と言いました。
「生きるも死ぬも、父さんの気持ち次第。父さんの自由だよ。
 そこに私を持ち出さないで、生きたいなら生きればいい、邪魔にしないよ、死にたいなら死んでいいんだよ。もう私は泣かない。生きても死んでも、私は泣かない。
 悲しいけれどもう父さんにつきあってあげられるのは私しかいない。みんなもう父さんとはやっていけないって思ってる。」
「別に世話しなくてもいい」と父は今まで通り言います。


私は今回ひどいことを言いました。まじめに言いました。
「父さん、もう何度も泣かされてきたよ。でも私は許してる。
 父さんは私のことを、おまえみたいな恥ずかしい娘を持って俺は近所にも恥ずかしい、おまえは自分のことを恥ずかしいと思わないのか、って言ったこともあるよ。」
「許さなくてもいいや。おれはそんなこと言ってない」
「うん。父さんは何回もひどいことを言った。いつも覚えていなかった。
 俺は言ってない、俺はやってない、俺は知らないって言ってきたよ。」


火曜日、父を病院に連れていけない時は包括センターのIさんに相談しないとなりません。
その場合、父は強制的に病院に連れて行かれます。
そうならないように、と、今まで努力してきました。


通院、免許返納。
その後の生活。
こういう生活をするようになってから、「たいしたことないことで悩んでられないよ」と思うようになったのです。
私より若いうちに母親が痴呆症になって数年で亡くなられた同級生達がいます。
そのうちの一人はなんと四人の子育てをしながら、嫁ぎ先の家から通ってお世話をしていました。