どちらも介護は苦労が伴うでしょうけれども
老々介護ではない分、我が家はなんとかこうしてやってこれたと思います。
父は周辺症状が強烈でしたので、確かに無理をしながら頑張ってきたと、今振り返るとわかります。その時にはいつも必死で、頑張るしかないとがむしゃらでした。
突然キレて、暴れだして、私を罵りながら殴ったり蹴ったり馬乗りになって暴力を振るう父。体よりも心が傷つきました。暴力、妄想、忘却、の繰り返し。過食、徘徊、幻覚。
それでも、思うことは色々あります。
憐み。慈しみ。それは父へ、家族への。
そして、よその家庭の介護の悲劇を知っては、慎ましさを。
近所に、老々介護で、ご主人が奥様の介護をしていたお宅があります。
奥様は毎晩車で何時間も戻らず、ご主人はそれを探す生活をしていたそうです。
ついに自宅介護の限界となり奥様は施設に入所、ご主人は介護からの過労により入院。
心身ともに、ぼろぼろになってしまったご主人。
切ないお話、切ない現実。
同居していなかったら、味わうことのなかったこともあったでしょう。
確かに悲しいつらいことがいくつもありました。
でも同居していなったなら、母一人に父の介護を任せることになったでしょう。
母が一人で背負えなかったでしょう。
目の前で毎日、衰弱していく父や、狂ったようになる父を、この目と心にうけとめていること、それは心がやられてしまいそうでした。
今だってあんなにも衰弱した父を見ると凄く心を切り刻まれます。
けれど、家族の死を、最後の命を、目にすること。
気づくこともありますから。
言葉にすると薄っぺらい。
はかなさと、尊さ。
重くない。
命がこんなにも軽く、もろいものだと知りました。
こんなにも軽くてもろい命を、人が人から奪ったりしちゃいけない。
このブログへのコメントは muragonにログインするか、
SNSアカウントを使用してください。