終末期ですから
父が飲み込むことがほとんどできない状態だと聞いた時から、これまで入院してきてから何故今日まで生きて、しかも夜間歩き回っているのだろう、と不思議でした。
今日は病院から電話がありました。
父の体がむくんできているそうです。
なので別の介護シューズを用意してほしいという用件でした。
飲み込むこと、食べること、それができなくなっている父に食べ物や水分を与えることは父の体が水分を処理できずにむくんでくること。
父の臨終が近いのだろうと思います。
ケアマネさんからも、入所というよりも、、、ご自宅で最期を看取る状態なのだろうと思います、と、けれど今私の体のことを心配してくれて入所先などを探してくれていました。
死が近い時、ずっと入所していたのではない認知症の患者は自宅で息を引き取ることが主流なのかもしれませんね、私達には認知症患者の最後についての情報が少ないので知らないのですが。医療、介護の関係者にとっては、最後は自宅というケースは多いのでしょうね。
私の大切にしていたマルチーズの最後を思い出しました。
精いっぱい最後まで生きようと頑張ってくれたいじらしい子でした。
二年くらい介護をしていました。
最後が近くなった時、食べる量がほとんどなくなり、最後の日はずっと何か飲むこともできなくなって、亡くなる二日ほどの間は脚のむくみがひどくかわいそうでした。
今の私は父の思い出を振り返ることがありません。
今は、これから母を支えて守っていくことを考えています。
薄情かもしれません。
亡くなる家族のことよりも、生き残った家族を守ることを考えています。
泣いているつもりも、悔やんでいる時間も、今の私にはありません。
入院して、離れたことで、冷静でいられるのだとわかります。
目の前で毎日泣きすがられて、寝ないで介護して仕事も何もかも必死でいたら、今の落ち着きは欠いていたと思います。
これまで、つらいことはありました。
でも、最後の頃に、父と離れる時間をくれた運命に心から頭を下げます。
助けようとしてくれる人達が、私にいたことに、感謝します。
むらごんでも、「無理はだめだよ」と助言してくれた皆さん。
今更ですが、感謝で、涙がドッと溢れました。
ご心配、思いやり、応援、ありがとうございます。
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