終末期
介護者も穏やかさを浮かべるようになりますね。
父と離れてから、心に穏やかさが広がってきました。
もしかすると、余裕ができたからなのでしょうね?
父以外への慈しみが増えました、豊かになりました。
そして、父を、かわいそうだと見ないようになってもきました。
終末期の、認知症の人は幸せに近づいていると思うように。
亡くなることは、かわいそうなことではありません。
若くして、とか、ガンなどの病気が原因とか、事故とか、自死とかと違うのです。
死は、悲しいばかりではありません。
父はずっと浮気をしてきました。警察沙汰にもなりました。
命がけの看病で奇跡的な回復を勝ち取ったのに、父は愛人が別の金持ちの老人に鞍替えしたことで「生きていてもなんにも楽しくない、もう死にたい」と私に言いました。私は父を救わなければよかったのか、余計なことをしてしまったのか、と私は自分を責めていました。いつも嘘をついていた父でした。
悲しい思い出は沢山あります。
それでも、死は父の悪い記憶をすべて消してくれます。
私は、父の嘘、認知症になってからのひどい暴力、すべて、父が死んだら忘れます。
死は、壁です。封印です。蓋です。
生前の悪行というものを成敗するのは神様の行いです。
死によって、もう恨み言はなしです。私はそう思っています。
それは父でなくて、どうしても許すことのできないような人であってもです。
その人が死んだら、すべて忘れましょう。
それに、父の体は死の準備を進めています。
解放されていくのです。
私達は介護の日々から。
父は壊れていく日々から。
嚥下障害も進んでいるそうです。
相変わらず夜から明け方にかけて覚醒して徘徊するので、眠剤の調整をしているそうです。
入院中に亡くならない時には、自宅で亡くなるでしょうが終末期に自宅で亡くなるケースは増えているそうですね。ボケ日和の著者であり認知症の専門医である長谷川先生の動画を見ていると心が休まります。穏やかになれます。
老々介護よりも大変ではない、つらくはない、でも無理に頑張ろうとしちゃいけない。
無理を続けると、頑張れなくなる時がくる。
これまでに励ましていただいたり、諭していただいているうちに、そのことをわかるようになりました。
私はまだ若いけれども、それでも、若さは万能なんかじゃない。
心もつらかったんですものね。
心はつらかった、いつもつらかった。はい。それが素直な気持ちでした。
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