七輪お姉さん

日々のつぶやき

帰宅しました

朝、仕事から帰ると母から二階に行って父さんを見てきてくれ、夜もずっと降りてきてない、生きてるか見てきて」と頼まれました。


私は仕事中も泣いていましたが、階段を上がる時も泣いていました。


父は横たわって目を瞑っていました。
息をしていることは確認できましたが、目を瞑ったままでした。
私が側で泣いていると、父は目を覚ましたようでした。
気がつくと、泣いている私の腕に自分の手を伸ばそうとしながら、ようやく聞こえるくらいのとても小さなかすれた声で、「泣くな」と言いました。
私は「今日、病院に連れて行くからね。このままだと父さんはもう死んでしまう、病院に連れて行く」と言いながら泣いていました。
父は「泣くな、、、、おまえのおかげでおれは生きていられたから 運命はしょうがない 泣くな」と言っていました。
私は母を呼んできて、母も泣きました。
母には父は何も言いませんでした、夫婦だから通じ合っていて言わなくてもわかっているだろうと思っていたのでしょうか。


病院でも私は父の手を握りながら泣いていました。
父は「なかないの、みんながみてるからなかないの」と私に言いました。


主治医ではない精神科の医師が予約外の私達を最初に診察室に入れてくれました。
今日は入院させてあげられませんということ、こうなったことは誰の責任でもないこと、お父さんの為を思う娘さんの気持ちは私にもわかります、まずはケースメーカーと介護のプラン作りをすることが今日の落とし所です、そこから進めていきました、と話していました。
「薬も飲めなくなっている父が、入院しないでも、父は大丈夫でしょうか」と泣いている私を少しつらそうに見つめながら「病院よりも、お父さんには施設での介護のほうが必要なことになると思います、これからケースメーカーを呼びますのでそちらとお話してください」という〆方でまとめられました。


その後はケースメーカーの女性と話して、包括センターのIさんに会いに出かけて申請手続きをしてから、点滴をしてもらっている父の迎えに行き、来週の火曜に主治医の診療予約をしてきました。


父は家に帰ると、昨日と同じように出歩こうとしました。
私は具合が最悪で、頭も胃も痛く、泣きすぎて目の奥も痛くて耳鳴りとめまいがひどいので、母は私を心配して父に「おとなしくしてなさい! さゆが具合が悪いから今はそっとしておいてあげなさい!」と言っていました。


財布から千円なくなっている、誰かがおれの財布から盗んだ、とも言いに来ました。


父は正気でいられる時が少ないですが、今週金曜には訪問調査にケアマネさんが来てくれますのでその時には外の人にはいつもまともそうに振る舞いますので会話は大丈夫だろうと思います。


Iさんは、申請の結果は一ヶ月待たなければいけませんが、訪問調査の時に要支援か要介護なのかはケアマネがわかりますからお父さんは結果が出ないうちでも暫定的にケアを受けることはできます、今までずっと一人で頑張ってきたのでしょうからこれからは助けてもらえるものは助けてもらってください、と、以前と同じ、優しい笑顔で力づけてくれました。


父はその一ヶ月、生きていられるのでしょうか。
暫定的といっても、ほとんどのケアを受けることができます、と力づけてもらえました。
父が生きているうちに、助けてもらいながら頑張ります。