七輪お姉さん

日々のつぶやき

臨終という意味

終わりと向き合う。
最後へと一緒に寄り添って過ごす時。


父は弱々しくはですが、まだ自分で歩いています。
眠っている時間、うとうとしている時間、多くなっています。
今日はほとんど食べることはできず、薬もさきほどは漢方薬は飲ませませんでした。粉末の薬を飲むのはもうつらいようでしたから。液体状の薬だけを飲んでもらいました。


父の体はもう、生きることを必要としていない段階に入ったのでしょう。
この段階には無理に食べさせたり、薬を飲ませなくてももういいのだそうです。
くちびるを濡らしてあげたり、マッサージしてあげたり。
不安にならないように、側にいてあげることが必要なのでしょう。


母には「怒鳴らないで」と時折宥めにいっています。
いまだに父にきつい態度を取りますが、それでも昨日、父にもう長くはない体になってしまっていることを優しい話し方と態度で言葉にしました。だから、もう無理はしなくてもいいの、今までできていたことができなくなる病気だから、忘れてしまう病気だから。でもね、父さん、父さんの最後は老衰という終わり方になるからね。老衰は苦しまないで仏さまになれるんだって。ちゃんと最後まで、この家で、みんなで見守ってあげるから。この世では、バイバイになるけれど、次の世でもまたお父さんの子供になってあげるからさみしがることないよ。また一緒に暮らせるよ。先に待っててね、お父さん。と、父に話していました、母も側にいる時に。
その時、母は泣いていました。あんなにいつも怒鳴っていても、母は泣いていました。
そして、父も母への気持ちも言葉にしました。
「○○は、兄弟も親父もお袋も、みんな死んでしまってたった一人だから。あれをさみしがらせるわけにはいかない。」
私は父に「お父さん。いつも喧嘩ばかりしていたから言えないままだったけど、それが言いたかったんだね。素直な気持ちなんだね。お母さんのことを思っていたんだね。」と父の膝を撫でながら言いました。
父は静かに頷いていました。何も言いませんでした。何度か頷いていました。


私は昨夜仕事の休憩時間に眠れませんでした。
何度も父が私の名前を呼ぶ声が聞こえて。
もしかしたらもう今夜、と思うと眠れませんでした。
私のいない時に亡くなったら、母は何もできずに困り果てているだろうと心配もしました。


今夜、仕事にいけば今週はもう休みですから。
昨夜母に、今週の週末はこの家にいたほうがいいと思う、と話しました。
母は嫌がりましたが、それでも私のいうことを聞いてくれました。


父との最後の週末になるかもしれない。
これから毎週、そういう気持ちでいるでしょう。


私にできること、してあげたいこと。
それは家族全員に優しくしてあげたい。
その気持でこれからの時間を暮らします。