七輪お姉さん

日々のつぶやき

仕事中には

アルツハイマーについての検索をすることがよくあります。
父を理解してあげたくて。


そして毎日の中でも色々考えます。
これから歩くこともできなくなったらどうしてあげよう、とか。
嚥下障害、軽いものは三年くらい前からありますのでそれについて、とか。
自分が気になっていることについては一日中何度もずっと話してきますし、これをしてほしいということも何度やんわり諦めてもらおうとしてもずっと言ってきます、そういう時に認知症の人の気持ちを逆撫でたり傷つけないような諭し方についての工夫を毎日考えています。


心理状態については理解が深まってきました。
不安になりやすいということも。
母が実家にいる週末は父は興奮することはなくなっています。
もう死にたい、生きているのがいやになった、と言い出して情緒不安になるのは母に怒鳴られた後に起こっています。


父はまだ、傷つく心を持っているのです。
それすら失う時は死が目の前になったときなのでしょう。
もうその時には何も父はできなくなる時なのでしょう。


なので、私は父の情緒不安定には慈しみを感じます。
ああ、まだ父はこうして自分というものを保っていられている、そういう優しい気持ちが広がります、心の中に。


母は父に苛立ち、壊れたおもちゃみたいに同じことばかり繰り返してうんざり!!とヒステリーを起こしますが、壊れたおもちゃのようだとしてもまだ動いてくれているじゃないか、動いてくれているじゃないか、と私は何か大切な光のように見えます。


母に対しても、同じように慈しみを感じます。
怒鳴って、叫んで、ヒステリーを起こす母を、まだ幼い子供のように思えてなだめてあげたい気持ちになります。よしよし、って。


苦、ではないんです。


近所の人から「さゆちゃん、あんたはよくやってる、えらい。今の苦労の後、絶対、あんたはいい人生になる!」と励まされることがあるようになりましたが、私は手を合わせながら頭を下げて「そんな風に声をかけてもらえるだけでもとてもありがたいです。十分今幸せです」とお礼を言います。
大変じゃないです。例えこの先自分の家族全員の世話をするようになったとしても、その時も大変とは思わないかもしれないです。みんなを最後までちゃんと世話してあげられるように元気でいなくちゃ、という気持ちはなくさないようにしています。