七輪お姉さん

日々のつぶやき

生活の大変さというもの

「今日は食べれるものがなんにもないなぁ」と食べることは諦めること。
幼稚園に入る前には私にはそういうことはいくらでもありました。3日以上食べるもののないことも。まだその頃は育て親の元にいて、育て親の叔父は高収入でしたし私にイジワルなどしませんでしたが仕事が忙しくほとんど家にはいませんでした。叔母は夫である私の叔父が私の母のことをとても可愛がって大事に思ってくれていたことに嫉妬があり人の目につかないところで私を虐めました。


あの頃の気持ち、正直どんな気持ちでいたのか、今私はちゃんと思い出すことができません。稀に夢を見て思い出すくらいです。なので今、遠い昔のことで思うのは、あの時虐められてどんなことをされても抵抗することもできず声も出さずに泣くしかできなかった子供が私だけでよかった。そういうことです。他にもあの家の中にそういう子が何人もいたら、今こんな風にぼんやり思い出すだけで済んではいなかったのでしょうから。そしてそれが私の大切な妹にはそんなことは起きなかった、それが私にとって一番嬉しいことなんです。


貧しくても、食べ物は親切な人から恵んでもらえることがありますし金額が小さいです。貧しい時にもっと苦悩するのは必ず払わなければいけない出費だと思います。


まだ教育費のかかる子供がいる、介護の必要な家族がいる、病院代のかかる家族がいるなどなど、そういう立場でお金がないことは食べ物がないことよりずっとつらいものだと思います。


そういうことを思う時、旅行支援なんかに税金を使う愚かさに唇を噛みますね。
そうじゃないだろう、と。もっと生活に困っている人達を、そういう人達が生きることに希望を見いだせなくならないように導くのが政治ではないのか、と。