七輪お姉さん

日々のつぶやき

珍しい快晴の日曜日

妹のベットのマットを屋根に干しました。
まだそのくらいの力はあるようでした、わたくし。
階段を担いだまま上がって屋根に出すとちょっと息が上がりましたけれど、笑。


父のポータブルトイレの尿の始末をして、窓を開けて。


父の部屋にごみが溜まっていました。
バナナの皮や鼻をほじくったティッシュの山を見て、ああ、認知症というのはこういうことなんだよなぁ、と思いました。後で片付けよう、とは思っていたと思います。けれど認知症にはその「後で」がなくなりますからね。もう忘れてしまう。それに次第に考えることができなくなっています、父は。自分がいつも使っているもののことも認知できなくなってきています。「父さんがいつも自分で使っている椅子をテーブルの前に用意してからこのおかずを運んで」と言えば「椅子? 椅子ってなんだ?」となります。


「父さんがいつも」使っているどれに対してももうわからなくなっています。


今日は父が溜め込んでいるゴミを全部片づけましょう。
母が以前から「もう父さんには服だって最小限しか必要ないから全部捨ててもらいたいの、おまえに。母さんが本当はすることだけど母さんは膝がこんなだからお願い。」と頼まれているので父の部屋から不用品を、いくらかまだ意識があるうちに処分することも考えています。もっと妄想がひどくなったら大変な騒ぎになりそうですから。


パック牛乳一本と牛肉のパックひとつとバナナ三本しか入っていないエコバックをようやく運んでいるところまで弱くなっていますし、父が。この数少ないものだけの買い物は父のリハビリのようなものですが、「それもできなくなるのはもう時間の問題だ」と母は嘆いています。


認知症は良くなるということはない病気。薬はその進む早さを少し遅らせるだけ。
妄想や暴力性が強くなった時には薬の相談にきてください、と先日助言されました。